パールハーバー その3
アロハフライデーという事で今日もハワイの事を書いていきます🔅
その前に、まずは皆様にお礼を申し上げさせてください
先日こちらのブログでもお伝えさせていただきましたクラウドファンディングに関してですが、現在41人の方々に支援していただきまして208、180円と多くの方々に支援していただいております
皆様には大変感謝しております
誠にありがとうございます!今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
https://camp-fire.jp/projects/view/416047
さてそれではハワイの事について書いていきます❗
今日はパールハーバーのその3を書いていきます😊
皆様、真珠湾の名前が、プウロア、ワイモミと変わっていったことは前回書きましたね
今日はどのタイミングでアメリカのもの(パールハーバー/真珠湾)になったかを書きます
遠い昔にお話したカラカウア王を覚えていますか?
そうです
世界の国家元首の中で、初めて日本にやってきたハワイの国王(世界一周中の1881年に日本に到着)、そして日本と同盟をくんでアメリカに対抗しようとしていた王様ですね!
彼の時代にパールハーバーはアメリカのものになりました
カラカウアの統治下、アメリカでは南北戦争が起こり、その影響で南部では砂糖の生産が激減していました
ハワイはその失われた生産を賄い、特需となり当時経済は潤っていました
しかし1865年に南北戦争は終結すると、次第にこの特需も消えてしまい,高い関税も影響して次第にハワイの経済は衰退していきました
またその当時、王国はアメリカをはじめ,多くの諸国から正式に独立国家として、承認を受けていませんでした
そういった理由でロシアやフランスなどが勝手にホノルル港に入国しては不平等条約を結んだり、自国民の警護のためといって勝手に上陸したりやりたい放題でした
一方アメリカのタイラー大統領は、外国がハワイ政府に敬 意を示し、貿易、特権などはハワイが独自で決める事と宣言し、ハワイ独立国家の承認を宣言した
タイラー大統領のこの支援に大いに期待した結果、ハワイはアメリカと条約を結ぶことに決めました
こうしてハワイはアメリカと1875年にアメリカとの間に、互恵条約を結んでしまいました
しかしこれがハワイ王国滅亡の引き金になるとは、その当時カラカウアも考えていなかったと思います
条約の第4条にハワイ港をはじめ,いかなるハワイ領土はアメリカの許可なくアメリカ以外に譲渡、貸与してはならない,また特権も与えないとする領土特権条項を規定して いました
そして要求はどんどん増えていき、ついに真珠湾の独占権が民主党政権下の1887年に条約にもりこまれました
アメリカがアジアに進出するうえで、ハワイは重要な拠点になると考えたんですね
最初は7年間の租借という条件でしたが、永遠に王国に返されることなく今日に至ることになります
残念ながらハワイの滅亡の引き金を引いてしまったカラカウアですが、宣教師により野蛮とみなされ禁止されていたフラやサーフィンなどを、ハワイの偉大な文化として復活させたり、いつでも笑顔のメリーモナークとして国民から慕われていました
今でもカラカウアはハワイの人に愛されており、毎年彼の誕生日にはイベントがあります(現在はコロナの影響でありません)
今日はここまでです😊
皆様、海星をご支援していただき、誠にありがとうございます
良い祝日をお過ごしください🙌
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