ダニエル・イノウエと442部隊
アロハフライデーという事で今日もハワイの事書いていきます🌈
今回も前回と同じダニエル・イノウエさんについてです👀
今回は彼が第二次世界大戦中に日系アメリカ人を中心に編成されたアメリカ史上最強だった部隊とも言われている“442部隊”に所属していた時の話をします❗
442部隊は当時激戦区のひとつだったヨーロッパ戦線のなかでも最前線に送り込まれます
イノウエさんは小隊を率いてドイツ軍の堅固な防衛線を指揮していました
442部隊の中には、本土の日系人とハワイの日系人がいたのですが、関係はあまりよくありませんでした
ハワイの日系人は 、自分たちを”カンヤク移民”(天皇陛下の命によるハワイ移民)で自分たちはほかの州にいる日系人より優秀だと思っていたらしいです
本土の日系人たちを『コトング』と呼んでよくいじめていたようです
『コトング』 の由来は、頭を殴ると『コトン』と音がしたからだそうです
ある老兵は『コトング』はハワイの二世に比べると態度が卑屈でいつもおどおどしていたから、いじめるにはもってこいだった。でも後で気が付いたんだが、米本土の日系人はみんな収容所に入れられたんだな。我々ハワイの日系人はパールハーバーの負い目はあったが、収容所に隔離されることはなかった。『コトング』たちには悪いことをしたと後で思ったよ・・・。」
と証言しています
こうゆう一癖も二癖もある人たちをイノウエさんはまとめていた実績が、将来の議員として国をまとめ上げるのに役立ったのかもしれませんね🔅
話をイタリア戦線に戻します
イノウエさんはドイツとの闘いで至近距離から機関銃で射撃を受け腹部や右腕を怪我しましたが、彼は戦いをやめませんでした
この時右腕は、銃弾があたったせいで、切断寸前でした
そして、とれかけの右腕には手りゅう弾を持ったままだったのですが、それを左手でとり敵めがけてなげつけました
その後も左腕一本で戦い続けましたが、出血多量で気を失い病院で目を覚ますことになります
日系人兵士たちは負傷してもなお国のために闘い亡くなる方も大勢いたのですが、
その姿に多くのアメリカ人は感動し、日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられ、その後の日系アメリカ人、アジア系アメリカ人への地位向上に大きく貢献しました❗
いまでもアメリカの陸軍士官学校ではこの442部隊の壮絶な戦いは、学習のテーマになるらしく、多くの尊敬を集めています🔅
なんてったって彼らはアメリカ軍の中で一番大統領から勲章をもらっている部隊ですからね 尊敬を集めるのは当然だと思います❗
この時にはもう日系アメリカ人は適正外国人ではなく、国を愛する同じアメリカ人だと考える人も多くなっていったようです
その後右手がなくなったイノウエさんは医者の夢は断ち、政治家を目指すようになりました
今日はここまでにします😊
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